skoladの日記

アゼルバイジャン共和国で留学をしていたskoladです!留学中に感じたことや、留学するにあたってしてきたこと、そもそもアゼルバイジャンってどんな所なの?や様々なことに対しての私個人の考えなどについて書いていこうと思います!

Globalizationについて。Part3

こんにちは!skoladです!

 

今回もGlobalizationについて書いていこうと思います。

 

前回、前々回の記事はこちらから!

skolad.hatenablog.com

 

skolad.hatenablog.com

 

 

今回は「入学時期を変えたからと言って教育的なGlobalizationが達成されるのか?」「Globalizationが達成された教育になるために必要なものは?」について書いていこうと思います。

 

 

 

では、始めていきます!

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まず、「入学時期の変更で日本の教育のGlobalizationが達成されるのかどうなのか」について。長いので教育がGlobalizedされるかって書き方にしますね。

 

答えはNoです。入学時期の変更だけでは物足りません。物足りなさすぎです。

もちろん一つの要因にはなり得ますが、入学時期を変更しただけではGlobalizedされたとは言い難いです。
まあ、「入学時期の変更」がきっかけとなってそこから発展していくとは思いますが。

 

 

じゃあGlobalizedされるためには何が必要か。いくつか思いついた例を挙げていきます。

 

一つめは、共通言語の設定。

まあ日本の学校なんで日本語でもいいです。ですが、Globalizationのために世界共通語の英語設定した方がいいかなと。
なので、両言語を小さいうちから教育する方法がいいのではないかと思います。別にどっちか一つに絞らなきゃいけないわけではないですし、日本で暮らしている以上日本語は必須ですので。

実際に日本のインターナショナルスクールでは第一言語が日本語と英語という生徒もいると思います。(羨ましい)

言語って発展してきた過程や歴史があり、どうしてもその言語でしか表現できないような言い回しなどもあります。完全に翻訳することは無理だと思ってます。
なので日本特有の文化や歴史を知る上でも日本語を学ぶのは大切です。

もちろん英語にもそのようなことが言えます。英語はもっと色んな国で話されてるので一つの国の文化や歴史を学ぶというよりかは、英語独特の表現方法や言い回しなど。

 

二つめは、教育システム・スタイルの変更。

変更、という表現が正しいのかは分かりませんが、Globalizedされた教育を目指すのであれば修正すべき点はいくつかあると思います。

例えば、個人を伸ばすような教育スタイル。これは実際に今年2020年の教育改革でアクティブラーニングという名前で実施していこうという話があります。
アクティブラーニングとは、教えられたことを鵜呑みにして知識として覚えるのではなく、生徒自らが考えて思考力・判断力・表現力・主体性などを身に着けていこうという教育の方法です。すこしリベラルアーツ教育に近しいものがありますね。

グローバルな世の中ではいろんな問題があります。その中で一つの答えだけが存在する問題なんてほとんどありません。そのような問題を解決していくためにも教えられたことをただ知識として覚えるのではなく、自発的に考え様々な観点から物事を捉えられるようになっていくことが重要です。

そのためにも少しづつ教育スタイルも変化していくべきだと思います。

 

三つめは、教師側の多国籍化です。

学ぶ側だけではなく、教える側も多国籍化していくべきだと思います。

色んなことを教えるなかで、色んな視点から物事を考えさせるなかで、2種類以上の言語を扱うなかで、色んな国籍の教師は必要不可欠だと感じます。

 

 

まだまだ考え出せば「Globalizedされた教育」を目指すのに必要なものはありそうです。(というかあります。)ですがとりあえずこの3つを挙げておきます。

 

 

もちろん問題点もありますね。人材・時間・お金です。

教師陣の多国籍化ももちろんそうですし、アクティブラーニングの導入には人材が必要です。今までしてこなかった、習ってこなかった人たちがどうやってアクティブラーニングを子どもたちに教えていくのかという問題もあります。

また、それらを実施するのには長い期間を必要とします。「じゃあ来年から全国の学校で本格的な英語教育とアクティブラーニング実施ね」なんて無理です。
教育課程の設定やそれに関する準備、人材の確保、教材、今までの学校のことなど対処することは山ほどあります。

それに莫大なお金もかかります。人材確保のための費用、教師陣を教育するための費用、新たな教材用意への費用などもそうですし、
その学校に子どもたちを通わせるための学費・授業料などもおそらくあがるでしょう。そうなったら国はどう対処するのか。補助金を出すのか、税金を引き上げるのか。

もう考え出したらキリがありませんね。

 

なので、すぐに実施するのは不可能です。何年、何十年かかるかわかりません。
ですが、Globalizedされた教育はこれらのことを全部踏まえたうえで初めてGlobalizedされたといえるのではないでしょうか。

徐々に、徐々にGlobalizationを進めていけば、いつかはGlobalizedされた教育になり、今現在の教育方法とは全く異なったものになるかもしれませんね。

 

 

 

と、今回は入学時期の変更をきっかけに教育のGlobalizationが進んでいく中で何が必要なのかについて書いてきました。

私だけでは思いつかなかったこととかもたくさんあると思います。ご指摘・感想・意見などありましたら共有してくださるとありがたいです。

 

次回は補完的な意味もこめて「そもそもGlobalizationってなに?」を書きたいと思っています。
私の考えからみたGlobalizationについて書いて、Part1~Part3の補完ができればと思っております。

 

では今日はこの辺で!
最後まで読んでいただきありがとうございました!